2007年12月20日

義の将 立花宗茂

この前もゲームの話は少ししたけど今日も戦国無双がらみのお話。

戦国無双2から登場したキャラに立花誾千代がいる。戦国屈指の名女傑だよね!
たしかに私も好きな人物なんだけど、なぜに誾千代?って感じがする。

旦那の立花宗茂も登場させて欲しいだけなのだが・・・face02 この二人両名共に戦国の傑物である。

立花宗茂 あまり馴染みのない方もいるだろう。

この御人も義の将である。

九州 筑後柳河城主。彼は大友家の重臣・高橋紹運の嫡男として生まれた。同じく大友家の重臣・立花道雪。当時の大友家の両巨頭のような存在の二人。立花道雪には跡継ぎがなく、娘の誾千代が跡取として決まっていたのだが、道雪は宗茂の非凡なる才能を認め、高橋紹運の子の高橋統虎(宗茂の初名)を養嗣子として迎えようとした。
紹運は統虎の優秀な器量と、高橋家の嫡男であるという理由から最初は拒絶しようとしたが、道雪が何度にもわたって請うてきたために拒絶できず、ついには宗茂を道雪の養子として出している。
このとき、宗茂は誾千代と結婚して娘婿となることで立花家を継いだ。だからなのか、この二人仲が悪かったらしい。誾千代としては自分が頭首であるという気概であったところへ宗茂のような優秀な旦那がきてしまったのだから面白くなかったのであろう。

さて高橋紹運、養父に立花道雪と大友家中の二大猛将を父に持ち、自身も智勇に優れた名将として、宗茂が行くところ敵なしと言われるほどであった。

しかし時代は戦国、大友氏の勢力がジリジリと押されていく。

天正14年薩摩の勇、島津義弘率いる島津軍がジワリジワリと押し寄せてくる。

そこで大友宗麟豊臣秀吉に助けを求めるのである。
これをきっかけに秀吉の九州平定戦が始まるのである。宗茂は、この九州平定戦で活躍し
このとき秀吉は、宗茂を「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」と高く評価したという。
その後、秀吉直臣となり筑後柳川に13万石を与えられ、大友氏から独立。

文禄元年からの文禄の役、更に慶長の役にも参陣し、獅子奮迅の活躍をするのである。

関ヶ原の戦いのおり、その直前に徳川家康から法外な恩賞を約束に東軍に付くように誘われたが、宗茂は、「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」と言い拒絶した。
まさに『義の将』そのものの人である(カックイイ!!!icon117
関ヶ原本戦には結果として間に合わなかったが、もし!もしもここに宗茂がいたならば・・・・勝敗は変わっていたに違いない。

関ヶ原後は改易されて浪人となるが、彼の実力をよく知っていた徳川家康からの熱心な引き合いにより幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)となり陸奥棚倉に1万石を与えられて大名として復帰する。
後年、幕府から旧領の筑後柳河に10万9,200石を与えられ、大名として完全に復帰を果たす。

やはり人間二心なき者は成功するの典型的な見本の御仁である。

私の尊敬する偉大な人物の1人である。

立花の武!魅せてくれん
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実不 高橋紹運、養父 立花道雪
を絡めた父子三様の猛々しくも清
々しい生き様が書いてあります。
PHP文庫 八尋舜右著 立花宗茂



人物文庫 学陽書房 童門冬二著 小説 立花宗茂
義を立て、信と誠意を貫いた宗茂の生涯。


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