2007年12月26日

茶々に気に入られなかった真田幸村

[真田幸村] ブログ村キーワード
いま公開中の映画『茶々 天涯の貴妃(おんな)』茶々

最後は大阪夏の陣で自害するのだが、この大阪夏の陣で一躍名を後世に知らしめることに
なったのが真田幸村である。

関ヶ原の戦い後、
父・昌幸とともに九度山に蟄居していた幸村。

その生活は厳しく大変であったらしい。

豊臣家は家康の度重なる挑発にまんまと乗せられることになる。

時代を読めない淀君(茶々)および大阪(大野治長ら)は、豊臣恩顧の大名たちに声をかける。

しかし、応じる大名は1人も居ない。

時代は関ヶ原以降、完全に徳川家のもので、それに逆らう気概のある大名はもはや居なかった。

頼みの加藤清正は数年前に死去・福島正則は広島にて軟禁状態、浅野幸長も前年に死去・池田輝政加藤嘉明

秀吉と共に大名になった蜂須賀家も豊臣家を見限っていた。

『天地人』の直江兼続が属する上杉家も、「もはや豊臣家に対する義理は関ヶ原の時に返した。」

といい家康に組する。

かの立花宗茂も同じように断り、そればかりか「関ヶ原にて敗戦した某を取り立てていただいた家康公に対し義がある」とし秀忠軍に従軍するのだ。

結局大阪に集まったのは、関ヶ原浪人の武者ばかりであった。

であるが、愚物ばかりではない。

真田幸村はじめ、土佐の長宗我部盛親、黒田家を追放された後藤又兵衛、関ヶ原の時、宇喜多軍の先陣にて勇戦した明石全登など猛者が数多く居た。

しかし、淀君(茶々)はじめ大野治長らは、彼ら浪人組を軽視し、特に真田幸村に関しては兄が家康側にいることを理由に、裏切りの疑惑までかけられる始末。
幸村ファンとしては最悪である。淀君さえいなけりゃ・・・・
淀君(茶々)の死は当然といって然るべきかもしれない。

己の傲慢さと、家柄の良さが人を大事にするという気持ちを持たせなかったのだろう。

幸村の作戦通りに大阪が動いていれば・・・最後の最後には幸村に頼り作戦を展開するが、時すでに遅し!大阪城は炎に包まれていくのだ
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