2008年01月24日

霊界から復活 真田幸村甦る

新人物往来社が出していた『別冊 歴史読本』って本知ってますか?


かなり昔、1990年にその新人物往来社の『別冊 歴史読本』真田幸村の特集号が出た。


その本の中のコーナーなのだろうか、霊界と交信できるという女性が霊界から武将のメッセージを紹介していた。

その女性の話は、2年ほど前(雑誌の発刊が1990年)から私は突然霊界からの通信を受けるようになりました。最初の声の主は斉藤道三でした。そのうち織田信長とも交信できるようになり、一般の歴史書にはない新しい事実を知ることになりました。
霊界からのススメでメッセージを紹介することにしました。


ということ。怪しげだが興味はあるんですねface01

で、その真田幸村特集では、織田信長にお願いして幸村を連れてきてもらったようだった。

色々な質問をして、霊界の幸村が答えているのだが、説明していてもよく分からないだろうから数回に分けてこのときの記事を紹介していきたい。

出自と生い立ちについて

―真田氏は滋野氏の流れを汲む海野氏の支流といわれているが?
「滋野ではない、もとの家はさき(真岐)である。間違って伝わっている」
―真田姓を称したのは、幸隆の代からか?
「そう伝わっている」
―家紋を「六連銭」にしたのは幸隆か?その理由は?
「たしかだ」「まことは六でするから」
―父 昌幸はどんな武将だった?
「よく話を聞くものであったが、よく確かめてすることでもあった。よい方といえる」
―兄 信之はどんな人物?力量は?
「よき友ともいえたが、まかせることは無理があった。剣は確かだったが、相手が何を望むかをよくよく確かめていないと感じた。恥は知っていたが、道筋はどうかな」
―幸村と名乗っていたことはあるのか?
「ある。三年くらいだけだが」
―幸村の身長と体重は
「よくは調べていないが、だいたいでよいかな?170cm72kgあの頃では大きすぎたともいう」

なんか怪しいですよねface02だって昔の人がcmやkgで表現しないじゃないですか!
その後も怪しげな質問と回答が続いていきます。

―武田勝頼にあったことは?
「あっている」「落ち着きはないが、やるときはすぐする者だった。よく見ていたが見せ場をいつも気にしたようで反対に見れないものがあった」
―上杉景勝はどんな人だったか?
「やはり向きが偏っている人かと見れた。見事ではあるが少し話すことに無理があった」
―豊臣秀吉はどんな人であったか?
「才と民とのよい気を見た人ともいえ、させることに長けている。見事というほかには例がない」
―石田三成は?
「石田とは、感とするなら、文句はなく確かであったが、目利きとはいえなかった。例えとすると、見えないものを見てないのだ。話すことはただ正しいことのみ」
―大谷吉継はどんな武将か?
「型のできた人だった。迫力があり、不思議な風格というか、むすっとしているが、話しやすい雰囲気。訳は何か、とは言わなくても、確かな答えが返ってきた。判断がやれる人」

後半は関ヶ原の戦いや大坂の陣についての質問になる。

残りはみなさんのコメントで要望があれば後日紹介することにします。
(あまりにもうさんくさい記事なので・・・face07書いていて恥ずかしくなって来た)

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新人物往来社









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