2008年01月25日

真田幸村は信幸の兄?

昨日書いた新人物往来者の怪しげな記事。
そこにも質問で出てたが真田幸村の兄、真田信幸
昔からの疑問で、真田幸村のほうが年上だったのでは?face08という疑惑がある。

疑問の根源は幸村、信幸、双方の忌み名(諱)である。

忌み名(諱)とは、織田信長であれば三郎、羽柴秀吉なら籐吉朗といったように通称である。

真田幸村の忌み名(諱)は「源次郎」、兄・信幸の忌み名(諱)は「源三郎」となっている。
これが混乱のもとで、忌み名(諱)だけみると幸村のほうが上ではないだろうか?っと思える。

この疑問が更なる憶測をよぶ。
ひょっとしたら幸村は真田昌幸の正室・山之手殿の子ではないのではないか?妾腹の子として生まれたため、幸村は弟扱いされたのではないか?

など根拠のない疑問が沸き起こってくる。

しかし、これはあくまで憶測の話。
幸村の本当の名前は「信繁」これは父・昌幸が武田典厩(信繁)を尊敬していたので名前を信繁としたのだが、真田家は代々真田幸隆真田昌幸『幸』の字を抱いている。
もし、幸村が本当に長男として生まれていたなら『幸』の字を継いだであろう。
一方、兄・信幸はご覧の通り『幸』の字を継いでいる。

じゃあ忌み名(諱)はなんなの?ってなことになる。
忌み名(諱)に意味はないそうです。
真田昌幸の忌み名(諱)は「源五郎」だし、その弟・信伊は「源次郎」です。
信長だって「三郎」なんです。
習慣や一族の襲名などが絡んでいるだけで、単純に出生順に結びつくことはないんです。

現に幸村は、上杉家へ人質として送られています。
長兄を質としてワザワザ送ることはしませんよね?
この辺からも兄は信幸、弟は幸村ということが確証されるのではないでしょうか。

そして先ほどの武田典厩(信繁)の話ですが、彼は信玄の同母の弟として生まれました。
幼少より文武に秀でており、父・武田信虎の溺愛ぶりは嫡男である信玄を廃して信繁に家督を譲ろうと画策するほどであったのです。
しかし、信玄と信繁兄弟は仲がよく、信繁は兄・信玄の補佐役として家中をよく取りまとめたのです。
多くの軍功を残すと共に、家臣からの信頼も厚く、何より兄・信玄からの信頼も厚かったのです。

真田昌幸はそんな武田信繁のような兄弟になって欲しいという意味も込めて、信幸の弟に真田信繁と名づけたのでした。


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