2008年01月25日
真田幸村 名前の不思議
真田幸村 現代では聞きなれた名前。
そして日本史上これほどまでに人気の多い武将は少ないのではないだろうか。
当然ながら真田幸村という名前は本名ではないとされている。
現存している史蹟に「幸村」という名前は見当たらないし、自筆の書状も残っていない。
しかし、先日紹介した、新人物往来社の霊界通信コーナーで、幸村自身が「3年くらいは名乗っていた」というコメントを残している。
(信用性が薄いのであくまで参考です
)
本名は「信繁」真田左衛門佐信繁である。
九度山から最後の大阪城に入るときも信繁で入城している。
でも我々は「信繁」ではピンっとこない。
やはり「幸村」なのである。
では最初に「幸村」という名前が出てくるのはいつなのか?
それは『難波戦記』という軍記物らしい・・・大坂の夏の陣から60年後に書かれた物だという。

難波戦記冬合戦の表紙
それではなぜ、 「幸村」たなったのか?
『幸』の字はわかる、真田の継承文字だ、幸隆、昌幸、信幸と『幸』の字を使っているから『幸』なんだろう。
これは納得することが出来る。
じゃあ『村』は?
どこからきた?なんで『村』なんだ?
結論から言うと確たる証拠となるものがないようだ。
幸村の姉・村松の『村』を採ったとか、仙台伊達家に仕えた幸村の子孫が当時の主君・伊達綱村の一文字をつけた、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとするなどがあるが、確たる証拠が何もないようだ。
「幸村」という名は死後比較的短い期間で広まっているため、真田昌幸の死後に昌幸の片諱を継承して実際に「幸村」と名乗ったのではないかとの推測もあるのは事実。
ということは、例の霊界通信はホントのことを言ってるのかもしれない。
大坂の陣の60年後の軍記物で『幸村』という名で使われているのだから『幸村』という名は、相当広まっていたと見ていいはずだ。
すごいことですね。
名前が確たる証拠がない武将が日本で1,2を争う人気なんです。
歴史の魅力です。
今後も幸村の魅力について調べて行きたいところである。
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そして日本史上これほどまでに人気の多い武将は少ないのではないだろうか。
当然ながら真田幸村という名前は本名ではないとされている。
現存している史蹟に「幸村」という名前は見当たらないし、自筆の書状も残っていない。
しかし、先日紹介した、新人物往来社の霊界通信コーナーで、幸村自身が「3年くらいは名乗っていた」というコメントを残している。
(信用性が薄いのであくまで参考です
)本名は「信繁」真田左衛門佐信繁である。
九度山から最後の大阪城に入るときも信繁で入城している。
でも我々は「信繁」ではピンっとこない。
やはり「幸村」なのである。
では最初に「幸村」という名前が出てくるのはいつなのか?
それは『難波戦記』という軍記物らしい・・・大坂の夏の陣から60年後に書かれた物だという。

難波戦記冬合戦の表紙
それではなぜ、 「幸村」たなったのか?
『幸』の字はわかる、真田の継承文字だ、幸隆、昌幸、信幸と『幸』の字を使っているから『幸』なんだろう。
これは納得することが出来る。
じゃあ『村』は?
どこからきた?なんで『村』なんだ?
結論から言うと確たる証拠となるものがないようだ。
幸村の姉・村松の『村』を採ったとか、仙台伊達家に仕えた幸村の子孫が当時の主君・伊達綱村の一文字をつけた、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとするなどがあるが、確たる証拠が何もないようだ。
「幸村」という名は死後比較的短い期間で広まっているため、真田昌幸の死後に昌幸の片諱を継承して実際に「幸村」と名乗ったのではないかとの推測もあるのは事実。
ということは、例の霊界通信はホントのことを言ってるのかもしれない。
大坂の陣の60年後の軍記物で『幸村』という名で使われているのだから『幸村』という名は、相当広まっていたと見ていいはずだ。
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