2008年01月31日
三顧の礼 竹中半兵衛 仁の心
昨日の竹中半兵衛の続きです。
木下籐吉郎が竹中半兵衛を迎えるにあたり、何度も足繁く通いようやく納得してもらえたことは書きましたね。

軍師竹中半兵衛
この話は 中国のあの有名な『三国志演義』になぞらえたもので、秀吉を劉備、蜂須賀小六を関羽、前野長康が張飛、そして竹中半兵衛を諸葛亮孔明になぞらえています。
「三顧の礼」云々は、おそらく潤色されたものなのでしょう。
半兵衛を孔明の再来とする書は竹中重門が記した『豊鑑』が最初だといわれています。
竹中重門とは、そう、半兵衛の息子です。
ですからあながち信用することは出来ませんが、すべてを否定するわけにも行きません。
稲葉山城をのっとり、その後あっさりと主君・斉藤龍興に城を返す様や、再三の織田の攻撃を撃破している半兵衛の功績から、秀吉が喉から手が出るほど欲していた人物だったのでしょう。
秀吉に仕えてからの半兵衛の生き方は正に孔明のようで
秀吉が黒田官兵衛に知行加増の約束をして、奉書を与えました。
しかし、秀吉はなかなか実行してくれません。黒田官兵衛は秀吉に詰め寄ります。
「いったいいつになれば加増いただけるのですか」と。
元々、黒田官兵衛の才能を見抜いていた秀吉はさの才能を恐れても居ました。
黒田官兵衛に才能と実力が備われば恐ろしいことになる。そんな不安があり、警戒もしていたのです。
半兵衛は秀吉のそんな心を見抜いており、官兵衛に対しこう言いました。
「こんな奉書があるからいけないのです。こんなものはあなたの為にはならないから棄ててしまいなさい。このような物をアテにしていてはいけません」と奉書を目の前で破って棄ててしまいます。
これにより秀吉、官兵衛の間を取り持ち、官兵衛に諭しをいれたのです。
孔明っぽいですよね。
官兵衛とちがい野心のない半兵衛。
その潔癖さが諸葛亮孔明と称される所以でもあるのでしょう。
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「三顧の礼」云々は、おそらく潤色されたものなのでしょう。
半兵衛を孔明の再来とする書は竹中重門が記した『豊鑑』が最初だといわれています。
竹中重門とは、そう、半兵衛の息子です。
ですからあながち信用することは出来ませんが、すべてを否定するわけにも行きません。
稲葉山城をのっとり、その後あっさりと主君・斉藤龍興に城を返す様や、再三の織田の攻撃を撃破している半兵衛の功績から、秀吉が喉から手が出るほど欲していた人物だったのでしょう。
秀吉に仕えてからの半兵衛の生き方は正に孔明のようで
秀吉が黒田官兵衛に知行加増の約束をして、奉書を与えました。
しかし、秀吉はなかなか実行してくれません。黒田官兵衛は秀吉に詰め寄ります。
「いったいいつになれば加増いただけるのですか」と。
元々、黒田官兵衛の才能を見抜いていた秀吉はさの才能を恐れても居ました。
黒田官兵衛に才能と実力が備われば恐ろしいことになる。そんな不安があり、警戒もしていたのです。
半兵衛は秀吉のそんな心を見抜いており、官兵衛に対しこう言いました。
「こんな奉書があるからいけないのです。こんなものはあなたの為にはならないから棄ててしまいなさい。このような物をアテにしていてはいけません」と奉書を目の前で破って棄ててしまいます。
これにより秀吉、官兵衛の間を取り持ち、官兵衛に諭しをいれたのです。
孔明っぽいですよね。

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