2008年02月09日

蒲生氏郷の無念

蒲生氏郷の無念!もしかすると天下を獲れたかもしれない男 蒲生氏郷

天正十八年、小田原の役が終わった後、豊臣秀吉蒲生氏郷に会津四十二万石を与える。
これは東北の押さえとして奥羽の伊達政宗、そして徳川家康の背後を牽制するのが目的だったとせれている。

しかしこのとき、氏郷は広間の柱に寄りかかり涙ぐんだ。
それを見た朋輩が感涙を流していると思い「ありがたく思われるのはごもっともなことでございます」というと。
氏郷は「そうではない。小身ではあっても、都の近くにいれば、一度は天下に号令する望みもある。いくら大身のものでも、雲を隔て海山越えた遠国にいては、もはや天下人への望みもかなわぬ。わしはすでに不要な者になったかと思うと、不覚の涙がこぼれたのだ」と答えた。

ここに戦国武将としての男気を感じますよね!face05
カッコいい!ですよ。
男として生きる以上は天下を窺う野望をもっているものが戦国の男

あるとき、氏郷の近習が氏郷に聞いた、太閤のあとは豊臣秀次殿(関白)に従われるのですか、と尋ねると、氏郷は「あの愚人に従ふものは誰があろうか」と言った。
それでは天下の主となる人は誰でしょう、と問うと、
「加賀大納言又左衛門(前田利家)だ、もし又左殿がならないときは、そのときはわしがなる」と答えた。
 一方秀吉は近習の者に「氏郷は奥州に行くことをどう思っているのか」と聞くと。
「大変迷惑がっております」という答えに「いかにももっともなことだ。氏郷をこちらに置いておくと、恐ろしい奴なので、それで奥州につかわすのだ」と言ったと伝わっている。


このことからも、秀吉が氏郷の存在に畏怖があったことを物語っている。
それほどまでに恐れられもしたし、力量を認められてもいたことが会津92万石という結果に繋がっているのだろう。

現に氏郷は会津の大守として葛西・大崎一揆の鎮圧や、南部の九戸政実の乱などに持ち前の軍略を遺憾なく発揮し、秀吉から与えられた重大な任務を全うしているのだ。

氏郷は将としても素晴らしく、「主将たるもの人を使う時は自ら先頭に立たねばならぬ。後ろから、ただ、かかれ、かかれというだけではうまくはいかぬ」
新参者には「わが旗本には銀の鯰尾の兜をいただき、先陣に進むものがいるから、この者に劣らぬ働きをせよ」と言放った。
その鯰尾の冑の持ち主とは?言わずと知れた氏郷自身であった。
まさに知勇を兼備した武将、それが蒲生氏郷であった。

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