2008年02月13日
真田幸村 安居神社にて討死
大坂城へ行ったならここに寄らずに帰るは真田幸村ファンにあらず!
ということで、また来てしまった安居神社。

言わずと知れた幸村公最後の場所。
大坂夏の陣
道明寺の戦いにて、奥州・伊達家自慢の騎馬鉄砲隊を、長柄槍隊を地面に伏せながら闘う戦法で一時的に後退させた。
これら度々の勝ち戦により、次第に徳川軍も真田軍への攻撃を自重せざるを得なくなり、幸村はそれを見て堂々と大坂城に一時撤収していくのだ。
その撤収の際には、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と徳川軍を嘲笑しながら馬に乗り、悠然と撤収したといわれている。

しかし、この道明寺の戦いでは先行した後藤基次が幸村が援軍に駆けつける前に壊滅してしまっている。
豊臣軍は後藤又兵衛や木村重成などの討死したことにより、益々敗戦色は濃くなり、兵たちも疲弊していった。
幸村は士気を高める策として豊臣秀頼自身の出陣を求めるが、大野治長や淀殿(茶々)に阻まれ失敗。そこで幸村は最後の作戦を立て家康本陣を目指す。
右翼として真田幸村、左翼として毛利勝永を四天王寺・茶臼山付近に陣形し射撃戦と突撃を繰り返し家康の陣形に対し本陣を孤立させ、明石全登の軽騎兵団を迂回させ家康本陣を横撃させるというものだった。
しかし毛利隊の前面諸将が勝手に射撃を開始してしまったため、作戦を断念。
真田幸村は最後の賭けに出る。真正面から徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を敢行するのだ。
真田幸村は越前松平勢を突破、家康の本陣まで攻め込み、屈強で鳴らす家康旗本勢を蹴散らす。
(爽快ですな
)
ちなみに、本陣に攻め込まれ馬印が倒されたのは「三方ヶ原の戦い」以来二度目と言われ、真田勢の凄まじさに家康は自害を覚悟したほどだったという。これにより、奇しくも家康は武田家ゆかりの武将に二度馬印を倒されたこととなる。
しかし、最終的には数で勝る徳川軍に押し込まれていく。
そして、ついに四天王寺近くのココ安居神社の境内にて、味方の傷ついた兵士を看病していたところを襲われ、越前松平勢鉄砲組の西尾仁左衛門にその首を授けることになるのだ。

口惜しや、口惜しや・・・・無念じゃあと僅かであったのに
ほんに口惜しや。。。。。。

今考えても悔しい。
あと本当に僅かだ、もし、最後の突撃のときに秀頼自身が出馬していてくれたら、兵たちの士気も揚がり、徳川軍の同様もでたであろうに、作戦の連鎖により家康の首は取れたであろうに・・・・
何とかしたい。そんな気持ちでいっぱいだ。
見てみたい家康の首を挙げた幸村公の勇姿を。
だから真田物の小説を何度も読んでしまう。
せめて小説の中で満足しなければ気持ちが治まらない。
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反大坂の陣(1) 反大坂の陣(2) 反大坂の陣(3) 反大坂の陣(4)
ということで、また来てしまった安居神社。

言わずと知れた幸村公最後の場所。
大坂夏の陣
道明寺の戦いにて、奥州・伊達家自慢の騎馬鉄砲隊を、長柄槍隊を地面に伏せながら闘う戦法で一時的に後退させた。
これら度々の勝ち戦により、次第に徳川軍も真田軍への攻撃を自重せざるを得なくなり、幸村はそれを見て堂々と大坂城に一時撤収していくのだ。
その撤収の際には、「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」と徳川軍を嘲笑しながら馬に乗り、悠然と撤収したといわれている。
しかし、この道明寺の戦いでは先行した後藤基次が幸村が援軍に駆けつける前に壊滅してしまっている。
豊臣軍は後藤又兵衛や木村重成などの討死したことにより、益々敗戦色は濃くなり、兵たちも疲弊していった。
幸村は士気を高める策として豊臣秀頼自身の出陣を求めるが、大野治長や淀殿(茶々)に阻まれ失敗。そこで幸村は最後の作戦を立て家康本陣を目指す。
右翼として真田幸村、左翼として毛利勝永を四天王寺・茶臼山付近に陣形し射撃戦と突撃を繰り返し家康の陣形に対し本陣を孤立させ、明石全登の軽騎兵団を迂回させ家康本陣を横撃させるというものだった。
しかし毛利隊の前面諸将が勝手に射撃を開始してしまったため、作戦を断念。
真田幸村は最後の賭けに出る。真正面から徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を敢行するのだ。
真田幸村は越前松平勢を突破、家康の本陣まで攻め込み、屈強で鳴らす家康旗本勢を蹴散らす。
(爽快ですな
)ちなみに、本陣に攻め込まれ馬印が倒されたのは「三方ヶ原の戦い」以来二度目と言われ、真田勢の凄まじさに家康は自害を覚悟したほどだったという。これにより、奇しくも家康は武田家ゆかりの武将に二度馬印を倒されたこととなる。
しかし、最終的には数で勝る徳川軍に押し込まれていく。
そして、ついに四天王寺近くのココ安居神社の境内にて、味方の傷ついた兵士を看病していたところを襲われ、越前松平勢鉄砲組の西尾仁左衛門にその首を授けることになるのだ。

口惜しや、口惜しや・・・・無念じゃあと僅かであったのに
ほんに口惜しや。。。。。。

今考えても悔しい。
あと本当に僅かだ、もし、最後の突撃のときに秀頼自身が出馬していてくれたら、兵たちの士気も揚がり、徳川軍の同様もでたであろうに、作戦の連鎖により家康の首は取れたであろうに・・・・
何とかしたい。そんな気持ちでいっぱいだ。
見てみたい家康の首を挙げた幸村公の勇姿を。
だから真田物の小説を何度も読んでしまう。
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この記事へのコメント
秀頼に武将としての器量があったなら千成瓢箪の馬印を掲げて死に花を咲かせたものを・・・残念ですね。
家康の首までは欲でしょうが・・・
家康の首までは欲でしょうが・・・
Posted by hiro at 2008年03月05日 12:49
















