2008年03月01日

真田幸村多くの人との出逢い

真田幸村の出自について記述していなかった。

真田幸村 幼名を弁丸。
言わずと知れた真田昌幸の次男として生まれる。
元服して源次郎信繁と名乗っている。
幸村の出自の不思議についてはココを参照して欲しい。→真田幸村は信幸の兄?

真田信繁というのが真田幸村の正式の名前である。
「幸村」言う名は後世になって付けられたものらしいが、火のないところに煙は出ない!でおそらくは幸村の人生において名乗っていた時期があるのではないだろうか。

真田幸村 名前の不思議

父 昌幸は武田信玄信繁兄弟の固い絆に感銘を受けており、嫡男の信幸の後に生まれた男子にはためらうことなく信繁とつけたのである。

武田勝頼が滅んだあとの真田は三方を隣国に接しており、北に上杉景勝、東に北条氏康、南に徳川家康に囲まれていた。
昌幸は真田の地を守るため「表裏比興者」と呼ばれるようになるくらいに同盟と離反を繰り返した。

徳川についていた昌幸だったが、徳川家康は真田が自身で刈り取った沼田の地を勝手に北条に譲渡したため昌幸はこれを断固拒否、徳川と決別する。

昌幸が選んだ相手は上杉景勝

上杉謙信以来、義侠にあふれる上杉家ならばこの窮地を助けてくれる。そう考えたのだろう。
このとき昌幸は幸村を上杉に人質に出すので助けて欲しいと頼むのだ。

これに対して景勝は一度は裏切った真田をこれほど歓待に扱うとは、表裏比興の真田が人質を出すから助けてくれと言ってきたことがよほどうれしかったのであろう。

幸村はこうして上杉家へ人質として行く事になる。
上杉家での幸村の生活は待遇が良かったようで景勝は1千貫文を幸村に与えている。

おそらくだがこの時期に幸村と直江兼続は出逢っているのではないだろうか。
直江兼続と交流が・・・真田幸村

その後、昌幸は豊臣秀吉にも援助を請うのだが、そんな兼ね合いで上杉景勝が大坂へ上洛する際に幸村を連れて行っている。
そして幸村は秀吉に謁見するのだ。

このことにより真田家は上杉家の庇護から、豊臣家の参加に入り無事保身することが出来るのだ。

秀吉は最初は昌幸の援助の件もあったので幸村を人質として取るつもりだったのだろう。しかし、幸村の非凡なる才能をみた秀吉は是非自分の手元に置きたいと思ったのだろう。

これに対して上杉景勝も秀吉に「大きに怒りて、かの源次郎幸村をきっと返し給わらん」とつめよったらしい。
秀吉は聞き入れなかったが、景勝はよっぽど幸村を気に入っていたのか真田を繋ぎとめるのが必死だったのかはわからないが、無口だったとされる景勝が秀吉に詰め寄るくらい真田は重要なポイントだったのだろう。

こうして幸村は大阪での生活を送る。
このときに幸村の義父 大谷吉継とも出会っているのではないだろうか。
1594年(文禄3年)幸村は秀吉から左衛門佐に叙任され、さらには豊臣の姓まで名乗ることを許されている。

こうして幸村は人質の生活中で多くの人に出会い、自らを成長させてその力を養っていく。
どこに言っても優遇を受けていたのは当時の真田の重要性もあるだろうが、何より幸村の人柄の良さも窺えるところである。

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