2008年03月13日
真田の祖 真田幸隆の死
岩櫃城を落とした真田幸隆は上州の最大拠点 沼田城攻略を目指す。
幸隆はこの岩櫃城攻略に嫡子 真田信綱、次男 真田昌輝を従軍させている。
岩櫃から沼田に行くには途中の諸城を落としていかなくてはならない。
幸隆はまず、岩櫃の東北にある岳山城を攻略しようとするのだ。
岳山城には池田佐渡守と斉藤義宗が立てこもり死守しており、さすがの幸隆をもってしてもなかなか攻め落とすことが出来なかった。
そこで幸隆は得意の調略を施す、池田佐渡守を内応させることに成功し、なんとか岳山城を落とすことが出来た。
岳山城が落ちたことにより沼田への道が開けた武田軍はさらに軍を推し進める。
上杉謙信も沼田を落とされたくはないので援軍を沼田に投入していく。
幸隆が次の目標は箕輪城である。
箕輪城はかつて長野業正が守っていた城であり、幸隆はかつてこの長野業正を頼りこの城に厄介になっていたことがある。
しかし、いまは息子の長野業成が跡を継いでおり、かつての勢いは無かった。
真田幸隆は箕輪城を包囲し数ヵ月後に落城をさせる。そんなころ中央では今川義元が織田信長に破れ討死にした。
これにより武田信玄は駿河進攻を計画する。
しかし嫡子義信の妻は今川氏の娘であるため、義信はこれに反対したため義信を廃し、今川と断交する。
今川氏真は危機を感じ北条氏康に武田家の断断交を要し、塩留めなどの方策をする。
北条氏康も宿敵 上杉謙信と和睦し武田を包囲していくのだ。
たまったもんじゃないのは真田幸隆である。
両面が敵の状態になってしまった。
前面の上杉の背後の北条である。
真田幸隆は岩櫃城にて上杉・北条軍を相手に進攻を食い止めていた。
そうこうしていると、北条氏康が没すると、継いだ北条氏政は上杉との同盟を破棄、武田信玄と再度盟を結ぶ。
これによって背後の憂いが無くなった真田幸隆は上杉勢に積極的に攻撃を仕掛ける。
まず幸隆はまたしても調略により白井城を落城させる。
ちょうどそのころ武田信玄は大軍をもって京都を目指して南下していく、三方が原で徳川家康を破り、さらに南下していく、しかし信玄は病に侵されており仕方なく甲斐に戻ることを決意するが、その途中で没することになる。
同じ頃、真田幸隆も上州の地で病に伏せていた。
信玄の跡を継いだ武田勝頼は医師を派遣して幸隆の病状を見舞うがその甲斐も無く幸隆はこの世をさる。
この時期の武田の象徴である信玄とその頭脳を同時に失ったことは後々の武田滅亡に繋がっていくのであろう。
真田の祖真田幸隆 天正2年 5月19日 享年62歳であった。
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そこで幸隆は得意の調略を施す、池田佐渡守を内応させることに成功し、なんとか岳山城を落とすことが出来た。
岳山城が落ちたことにより沼田への道が開けた武田軍はさらに軍を推し進める。
上杉謙信も沼田を落とされたくはないので援軍を沼田に投入していく。
幸隆が次の目標は箕輪城である。
箕輪城はかつて長野業正が守っていた城であり、幸隆はかつてこの長野業正を頼りこの城に厄介になっていたことがある。
しかし、いまは息子の長野業成が跡を継いでおり、かつての勢いは無かった。
真田幸隆は箕輪城を包囲し数ヵ月後に落城をさせる。そんなころ中央では今川義元が織田信長に破れ討死にした。
これにより武田信玄は駿河進攻を計画する。
しかし嫡子義信の妻は今川氏の娘であるため、義信はこれに反対したため義信を廃し、今川と断交する。
今川氏真は危機を感じ北条氏康に武田家の断断交を要し、塩留めなどの方策をする。
北条氏康も宿敵 上杉謙信と和睦し武田を包囲していくのだ。
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真田幸隆は岩櫃城にて上杉・北条軍を相手に進攻を食い止めていた。
そうこうしていると、北条氏康が没すると、継いだ北条氏政は上杉との同盟を破棄、武田信玄と再度盟を結ぶ。
これによって背後の憂いが無くなった真田幸隆は上杉勢に積極的に攻撃を仕掛ける。
まず幸隆はまたしても調略により白井城を落城させる。
ちょうどそのころ武田信玄は大軍をもって京都を目指して南下していく、三方が原で徳川家康を破り、さらに南下していく、しかし信玄は病に侵されており仕方なく甲斐に戻ることを決意するが、その途中で没することになる。
同じ頃、真田幸隆も上州の地で病に伏せていた。
信玄の跡を継いだ武田勝頼は医師を派遣して幸隆の病状を見舞うがその甲斐も無く幸隆はこの世をさる。
この時期の武田の象徴である信玄とその頭脳を同時に失ったことは後々の武田滅亡に繋がっていくのであろう。
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