2008年03月31日
蒲生氏郷 死の謎
1595年(文禄4年)蒲生氏郷は齢40にてこの世を去る。
その死を巡っては諸説があり、病死説、謀殺説などがあげられている。
一応病名は当時で言うと下血、今で言うところの直腸ガン、大腸炎、胃ガンなどと言われている。
また謀殺説には色々あり。
① 九戸の乱、平定時の軍の規律正しさよる蒲生氏郷の天下人としての器量を石田三成が豊臣秀吉に諫言し、瀬田掃部が鴆毒を盛った。
② 氏郷の朝鮮征伐への大いなる気概に対して秀吉が猜疑心をもった。
③ 秀吉のキリスト教弾圧に対して氏郷が直言をしたことにより、秀吉の怒りをかい謀殺された。
など憶測はつきないところ。
三成の諫言に関してはまったく信用性は少ないでしょうね。
対徳川家康で対抗できる人物は一人でも多いほうがいいですから、三成が1595年時に氏郷を陥れようとは思わないでしょう。
②、③は有り得ない話ではないと思います。
今日では病死説が定説になってきており、それにはなにより動かぬ証拠があるのです。
曲直瀬玄朔の『医学天正記』に氏郷の病状が記されており、その中で玄朔は氏郷の担当医でもないのに、氏郷の病態と死に関して長々と筆を走らせている。
そのには当時から出ていた氏郷の死を巡る疑惑に応えたものだったかもしれない。
だがそこには若干不審に思われるところがある。
それは、名護屋で発病した際に朝鮮にいて不在。堺の宗叔の薬で快方に向かう。
しかし、翌冬に秀吉の命で9人の医師が病状が悪化した氏郷を診断、玄朔を含む8人が重体と診断するが担当医の宗叔のみが軽症と判断する。
前田利家が玄朔に治療を命じるが玄朔はこれを拒否。
結局死の間際まで宗叔が施薬し氏郷は逝去してしまう。
このことから宗叔の誤診、効果のない薬を与え続けられていたことが明白で、氏郷の病に対して最善の方法が採られていたとは思えない。
よって秀吉の謀殺説などというのものが浮上してきたりするが、さすがの秀吉もこの頃には実子 秀頼の補佐役として信用できる人物は一人でも多いほうが良いと考えていたであろうから、前田利家、蒲生氏郷は心強い仲間であっただろうから謀殺するとは中々考えにくい。
そうなると・・・・・黒幕は?
徳川家康?ですか?
家康なら宗叔や曲直瀬玄朔などを使い、まずは邪魔な氏郷を消し、次に前田利家を消し、と某略するメリットがある。
個人的には家康の謀殺説を信じてしまうところである。
この蒲生氏郷の死はその後の豊臣の政局にも大きく影響を与える。
本来ならば五大老の中に氏郷が入るはずだっただろう。
徳川家康 前田利家 宇喜多秀家 毛利輝元 小早川隆景となっていたが、氏郷がいれば、ここに名前が入っていたに違いない。

結局小早川隆景も卒中で倒れてしまい、前田利家も病によりこの世を去るのだ。
家康にとっていてもらうと都合の悪い人物だけが次々と亡くなっていっている。
このことはあまりにもよく出来すぎているように感じられ、何者かの手が関与しているように思えるのは私だけであろうか。
蒲生氏郷、この類まれな才能は陽の目を見る事無くこの世を去ることになる。
限りあれば吹かねど花は 散るものを 心短き春の山風
蒲生氏郷があと10年生きていたら時代は大きく変わっていたことだろう。
我、黄泉の国よりもどりけり!家康を討ち滅ぼさん!
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その死を巡っては諸説があり、病死説、謀殺説などがあげられている。
一応病名は当時で言うと下血、今で言うところの直腸ガン、大腸炎、胃ガンなどと言われている。
また謀殺説には色々あり。
① 九戸の乱、平定時の軍の規律正しさよる蒲生氏郷の天下人としての器量を石田三成が豊臣秀吉に諫言し、瀬田掃部が鴆毒を盛った。
② 氏郷の朝鮮征伐への大いなる気概に対して秀吉が猜疑心をもった。
③ 秀吉のキリスト教弾圧に対して氏郷が直言をしたことにより、秀吉の怒りをかい謀殺された。
など憶測はつきないところ。
三成の諫言に関してはまったく信用性は少ないでしょうね。
対徳川家康で対抗できる人物は一人でも多いほうがいいですから、三成が1595年時に氏郷を陥れようとは思わないでしょう。
②、③は有り得ない話ではないと思います。
今日では病死説が定説になってきており、それにはなにより動かぬ証拠があるのです。
曲直瀬玄朔の『医学天正記』に氏郷の病状が記されており、その中で玄朔は氏郷の担当医でもないのに、氏郷の病態と死に関して長々と筆を走らせている。
そのには当時から出ていた氏郷の死を巡る疑惑に応えたものだったかもしれない。
だがそこには若干不審に思われるところがある。
それは、名護屋で発病した際に朝鮮にいて不在。堺の宗叔の薬で快方に向かう。
しかし、翌冬に秀吉の命で9人の医師が病状が悪化した氏郷を診断、玄朔を含む8人が重体と診断するが担当医の宗叔のみが軽症と判断する。
前田利家が玄朔に治療を命じるが玄朔はこれを拒否。
結局死の間際まで宗叔が施薬し氏郷は逝去してしまう。
このことから宗叔の誤診、効果のない薬を与え続けられていたことが明白で、氏郷の病に対して最善の方法が採られていたとは思えない。
よって秀吉の謀殺説などというのものが浮上してきたりするが、さすがの秀吉もこの頃には実子 秀頼の補佐役として信用できる人物は一人でも多いほうが良いと考えていたであろうから、前田利家、蒲生氏郷は心強い仲間であっただろうから謀殺するとは中々考えにくい。
そうなると・・・・・黒幕は?
徳川家康?ですか?
家康なら宗叔や曲直瀬玄朔などを使い、まずは邪魔な氏郷を消し、次に前田利家を消し、と某略するメリットがある。
個人的には家康の謀殺説を信じてしまうところである。
この蒲生氏郷の死はその後の豊臣の政局にも大きく影響を与える。
本来ならば五大老の中に氏郷が入るはずだっただろう。
徳川家康 前田利家 宇喜多秀家 毛利輝元 小早川隆景となっていたが、氏郷がいれば、ここに名前が入っていたに違いない。

結局小早川隆景も卒中で倒れてしまい、前田利家も病によりこの世を去るのだ。
家康にとっていてもらうと都合の悪い人物だけが次々と亡くなっていっている。
このことはあまりにもよく出来すぎているように感じられ、何者かの手が関与しているように思えるのは私だけであろうか。
蒲生氏郷、この類まれな才能は陽の目を見る事無くこの世を去ることになる。
限りあれば吹かねど花は 散るものを 心短き春の山風
蒲生氏郷があと10年生きていたら時代は大きく変わっていたことだろう。
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