2008年04月18日
犬伏の別れ 真田昌幸の決断
1598年(慶長3年)平穏な日々が過ぎていた真田昌幸に更なる試練を思わせることがおきる。
太閤 豊臣秀吉が死去する。
秀吉の遺言に従い、五大老と五奉行により政治は行われていた。
真田昌幸も伏見いたが、この時期には家康のもとに仕えていた。
ここから徳川家康の専横がはじまる。
まず、無断で伊達政宗や蜂須賀家政、池田輝政等と婚姻政策をする。そして豊臣秀頼の後見人・前田利家が死去すると家康は他の四大老を理由をつけ自国に帰らせるのだ。
そして一人京に残り、豊臣恩顧の大名を個別に屈服させていく。
前田利長、細川忠興など謀反の志ありとして咎め人質をとっていく、そんな中、上杉景勝だけは家康に反旗を翻し抗う姿勢をみせたのだ。
こうして徳川家康は上杉討伐の兵を挙げることになった。
真田昌幸も当然ながら自国に戻り上杉征伐に参加すべく準備を整えて、味方に合流すべく進んでいた。
嫡男・真田信幸に合流しようと犬伏まで着たときに密書を持ったものが昌幸を訪ねてくる。
差出人は・・・石田三成であった。
密書の内容は太閤の遺命を破る家康の弾劾と、不忠の家康を誅するといった内容であった。
一読した昌幸は、躊躇なく家康に反することを決意する。
もともと過去の成行上、家康の麾下になってはいるけれども、家康の家臣になった覚えはない。
どちらかといえば豊臣派である。
昌幸はどうしても家康になじめないし、何より油断ならぬ相手と思っていた。
昌幸は急遽信幸を呼び、親子3人で協議した。
まず密書を信幸、真田幸村にみせ各々の意見を言わせた。
信幸は当然、親徳川であり、妻の小松殿は家康の四天王の一人・本多忠勝である。
一読するなり、ここはこのまま東軍に属しましょうとする。
一方幸村は、秀吉から豊臣の姓まで許された男であり、妻には同じ西軍の大谷吉継の娘である。
幸村の答えは「父上に従います」だった。
幸村には昌幸の結論が分かっていたのだろう。静かにそう答えた。
そうすると信幸は父・昌幸に「して、父上のお考えはいかに」と問う。
昌幸はゆっくり語り始める。
「わしはここでもう一博打打ちたいと思う。」
信幸が必死で説得するが、昌幸の考えは変わらない。
「信幸よ、お前が東軍につき、我々が西軍に与すれば、いずれが勝っても真田の名は残る。勝ったほうが負けたほうの助命嘆願もできるではないか」そう言うと早速陣払いの準備に取り掛かった。
犬伏で親子袂を分かち合った昌幸は上田に戻る。
途中、信幸の沼田城を無血占領できれば有利だと考え沼田城に押寄せる。
ところが、沼田城は城門を堅く閉じ入城することさえままならない。
昌幸が沼田により前に、信幸からの伝令が昌幸が寝返ったことを伝えていたのである。
信幸は父・昌幸であれば必ず帰りしなに沼田を攻めに来ると読んでいたのだ。
真田昌幸もさすがに同門同士での争いはしたくなく、おとなしく上田城に引き上げていった。
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謀将真田昌幸 上



謀将真田昌幸 下

太閤 豊臣秀吉が死去する。
秀吉の遺言に従い、五大老と五奉行により政治は行われていた。
真田昌幸も伏見いたが、この時期には家康のもとに仕えていた。
ここから徳川家康の専横がはじまる。
まず、無断で伊達政宗や蜂須賀家政、池田輝政等と婚姻政策をする。そして豊臣秀頼の後見人・前田利家が死去すると家康は他の四大老を理由をつけ自国に帰らせるのだ。
そして一人京に残り、豊臣恩顧の大名を個別に屈服させていく。
前田利長、細川忠興など謀反の志ありとして咎め人質をとっていく、そんな中、上杉景勝だけは家康に反旗を翻し抗う姿勢をみせたのだ。
こうして徳川家康は上杉討伐の兵を挙げることになった。
真田昌幸も当然ながら自国に戻り上杉征伐に参加すべく準備を整えて、味方に合流すべく進んでいた。
嫡男・真田信幸に合流しようと犬伏まで着たときに密書を持ったものが昌幸を訪ねてくる。
差出人は・・・石田三成であった。
密書の内容は太閤の遺命を破る家康の弾劾と、不忠の家康を誅するといった内容であった。
一読した昌幸は、躊躇なく家康に反することを決意する。
もともと過去の成行上、家康の麾下になってはいるけれども、家康の家臣になった覚えはない。
どちらかといえば豊臣派である。
昌幸はどうしても家康になじめないし、何より油断ならぬ相手と思っていた。
昌幸は急遽信幸を呼び、親子3人で協議した。
まず密書を信幸、真田幸村にみせ各々の意見を言わせた。
信幸は当然、親徳川であり、妻の小松殿は家康の四天王の一人・本多忠勝である。
一読するなり、ここはこのまま東軍に属しましょうとする。
一方幸村は、秀吉から豊臣の姓まで許された男であり、妻には同じ西軍の大谷吉継の娘である。
幸村の答えは「父上に従います」だった。
幸村には昌幸の結論が分かっていたのだろう。静かにそう答えた。
そうすると信幸は父・昌幸に「して、父上のお考えはいかに」と問う。
昌幸はゆっくり語り始める。
「わしはここでもう一博打打ちたいと思う。」
信幸が必死で説得するが、昌幸の考えは変わらない。
「信幸よ、お前が東軍につき、我々が西軍に与すれば、いずれが勝っても真田の名は残る。勝ったほうが負けたほうの助命嘆願もできるではないか」そう言うと早速陣払いの準備に取り掛かった。
犬伏で親子袂を分かち合った昌幸は上田に戻る。
途中、信幸の沼田城を無血占領できれば有利だと考え沼田城に押寄せる。
ところが、沼田城は城門を堅く閉じ入城することさえままならない。
昌幸が沼田により前に、信幸からの伝令が昌幸が寝返ったことを伝えていたのである。
信幸は父・昌幸であれば必ず帰りしなに沼田を攻めに来ると読んでいたのだ。
真田昌幸もさすがに同門同士での争いはしたくなく、おとなしく上田城に引き上げていった。
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