2008年07月10日

真田幸村 初陣の日は?

日本一の強兵 と呼ばれる真田幸村
では幸村の初陣はいつだったんだろうか?

みなさんもご存知の通り真田幸村は人質暮らしが長かった。

というよりも上杉家へ赴いたのが1585年(天正13年)である。
このときの史料には19歳でありながら、まだ弁丸となっているので元服さえしていないものと見られる。

早い者だと13歳くらいで元服している者もあるのに、後に天下に轟く武名を残す真田幸村は19歳にしてまだ弁丸ちゃんだった・・・・のだ。

1586年(天正14年)幸村は上杉家から豊臣家移る。

そして1590年(天正19年)幸村は秀吉の小田原征伐に従軍する。
戦に行くのに弁丸では無理なので、おそらくはこの天正14年から18年にかけて元服したものと見られる。
おそらく秀吉の小姓となったのちに、秀吉の執り成しで加冠元服の義を執り行ってもらったのではないかと予測できる。

こうして元服を済まし源次郎信繁となった真田幸村は小田原征伐に参加している。

もともとが戦いのきっかけが名胡桃城をめぐる真田と北条の確執なので真田家が参陣しないわけにもいかないし、何より地理的に地元民なので先鋒になる勤めが当たり前だったであろうから秀吉からも幸村に父兄と共に戦うことを勧められたのではないか。

『滋野世記』には「昌幸父子兄弟に彼の筋の案内者たるに依って」とあるし、幸村に関しても
「源次郎信繁、自身に働き、手を砕きて高名あり」としている。

そして真田家は道先案内として先鋒を勤め、松井田城、箕輪城攻略に参加している。
最後は甲斐姫の立て籠もる忍城攻めにも参加しているのではないだろうか。

甲斐姫は自ら鎧兜を身に付けて兵を率いて討って出、豊臣軍を翻弄したとされる。
そこへ真田昌幸・幸村父子が援軍に差し向けられて来た。
武勇に優れた真田勢の猛攻に城門の一つが突破されそうになると、甲斐姫自ら兵を率いて討って出て幾多の首を討ち取り、寄せ手の侵入を阻止したという。

このことが甲斐姫真田幸村が槍を交えたというエピソードにも繋がっているのではないだろうか?

こうして真田幸村は稀代稀な才能を見せる第一歩を踏み出したことになる。


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