2008年07月27日
高坂昌信 逃げ弾正
武田二十四将の一人、逃げの高坂弾正昌信。
1527年(大永7年)甲斐石和の豪農・春日大隅の子として生まれる。
もともとは農民なのである。

1542年(天文11年)武田信玄が父 信虎を追放したあと奥近習として登用されている。
最初は使番であったが、信濃平定戦における小岩岳城攻略戦では一番乗りの功績を挙げ、1551年(天文20年)に侍大将に任じられる。
1552年(天文21年)ころに春日弾正忠と名乗るようになり、小諸城代を経て、海津城代となり、上杉軍に対する最前線の守将という重要な役を任される。
武勇に秀でる武田諸将の中において、昌信は治世面に高い手腕を有すると共に、非常に慎重な采配と見事な退却戦指揮能力で『逃げ弾正』の異名を取った。
『逃げ』といっても、敵を前にして逃亡するのではなく、有能であった為に殿(しんがり)を務めることが多かったせいだという。
1561年(永禄4年)第4次川中島の戦いでは、妻女山攻撃の別働隊として戦功を挙げ、引き続き北信濃の治世にあたった。
合戦後は戦場一面に倒れている屍を敵味方の区別無く手厚く葬ったという。
なお、この戦功により、信玄から信濃の名族・香坂(高坂)氏の名跡継承を許されて香坂姓を称することになる。
三方ヶ原の戦いでは大勝に急いて追撃を主張する家臣団の中、状況を冷静に分析して深追いは避けるよう進言するなど、抑え役の面を持っている。このため、家臣団の中では随一の智将と評されている。
1573年(元亀4年)信玄死後も海津城代として北信濃と上杉謙信の抑えを担当したが、他の老臣たちと同じように武田勝頼からは疎まれていた。
長篠の戦いには参戦はしていなくて、海津城を守備していた。
長篠の敗報を聞くと、兵を率いて伊奈まで勝頼を出迎え、衣服・武具などを替えさせる等、敗軍の見苦しさを感じさせないように体面に配慮したと伝わる。
長篠の戦いによって、信玄以来の老臣で残っているのは僅かな者だけになってしまった。
その中で昌信は勝頼を補佐して武田家の再建に努めるのだが、勢力を広げつつある織田信長の脅威に対抗するため、宿敵であり、信玄の遺言の中にもあった、上杉謙信との同盟を模索したと言われている。
御館の乱の際、当初上杉影虎側に味方し、景勝側を攻めていたが景勝の側近である、直江兼続の和与の申し出により上杉家と同盟を結ぼうと、勝頼に働きかけるのだが惜しくも病死してしまう。
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1527年(大永7年)甲斐石和の豪農・春日大隅の子として生まれる。
もともとは農民なのである。

1542年(天文11年)武田信玄が父 信虎を追放したあと奥近習として登用されている。
最初は使番であったが、信濃平定戦における小岩岳城攻略戦では一番乗りの功績を挙げ、1551年(天文20年)に侍大将に任じられる。
1552年(天文21年)ころに春日弾正忠と名乗るようになり、小諸城代を経て、海津城代となり、上杉軍に対する最前線の守将という重要な役を任される。
武勇に秀でる武田諸将の中において、昌信は治世面に高い手腕を有すると共に、非常に慎重な采配と見事な退却戦指揮能力で『逃げ弾正』の異名を取った。
『逃げ』といっても、敵を前にして逃亡するのではなく、有能であった為に殿(しんがり)を務めることが多かったせいだという。
1561年(永禄4年)第4次川中島の戦いでは、妻女山攻撃の別働隊として戦功を挙げ、引き続き北信濃の治世にあたった。
合戦後は戦場一面に倒れている屍を敵味方の区別無く手厚く葬ったという。
なお、この戦功により、信玄から信濃の名族・香坂(高坂)氏の名跡継承を許されて香坂姓を称することになる。
三方ヶ原の戦いでは大勝に急いて追撃を主張する家臣団の中、状況を冷静に分析して深追いは避けるよう進言するなど、抑え役の面を持っている。このため、家臣団の中では随一の智将と評されている。
1573年(元亀4年)信玄死後も海津城代として北信濃と上杉謙信の抑えを担当したが、他の老臣たちと同じように武田勝頼からは疎まれていた。
長篠の戦いには参戦はしていなくて、海津城を守備していた。
長篠の敗報を聞くと、兵を率いて伊奈まで勝頼を出迎え、衣服・武具などを替えさせる等、敗軍の見苦しさを感じさせないように体面に配慮したと伝わる。
長篠の戦いによって、信玄以来の老臣で残っているのは僅かな者だけになってしまった。
その中で昌信は勝頼を補佐して武田家の再建に努めるのだが、勢力を広げつつある織田信長の脅威に対抗するため、宿敵であり、信玄の遺言の中にもあった、上杉謙信との同盟を模索したと言われている。
御館の乱の際、当初上杉影虎側に味方し、景勝側を攻めていたが景勝の側近である、直江兼続の和与の申し出により上杉家と同盟を結ぼうと、勝頼に働きかけるのだが惜しくも病死してしまう。
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