2008年09月27日

原虎胤 信に生きた将

武田二十四将の一人でもあり、武田五名臣の一人でもある原虎胤

原虎胤は1497年(明応6年)原友胤の子として生まれている。
元々は下総国千葉氏の重臣・原氏の一族であったがらしいが、1517年(永正14年)足利義明に居城である小弓城を奪われ、父・原友胤とともに甲斐に落ち延び、そこで武田信虎に仕えることになったという。

虎胤は信虎から「虎」の一字を貰い受けて足軽大将として活躍していく。
1521年(大永元年)甲斐飯田河原戦では今川軍の福島正成を討ち取る功績を挙げる。

そんな中、突然に信虎が武田晴信により追放となるのだ。
知らせを聞いた虎胤は信濃にいたが、急ぎ甲斐に帰国、板垣信方甘利虎泰に猛抗議したと言われる。
信虎時代に登用された新参の家臣だけに板垣信方ら国人衆と違い信虎との関係は良好であったと思われる。

結局は信虎追放は変わる事無く、後は武田晴信(信玄)に仕える。
一般には武田二十四将の中に数えられる事も多く、また甲陽五名臣としても名があげられていることからすると、当代きっての優れた人物であったのだろう。

小笠原氏との戦いで活躍し、平瀬城の城代を任されるなど重用されていた。
しかし、1553年(天文22年)宗旨問題により、法華宗信者であった虎胤は、信玄に浄土宗に改宗するように迫られて拒絶。
このため虎胤は、一時期甲斐を追放され、相模北条氏に身を寄せていた。
善得寺の会盟の際に帰参し、以後は引き続き武田氏の勇将として活躍する。
この帰参の際も、北条氏康は虎胤に対し惜別の念を表したという。

1561年(永禄4年)信濃国割ヶ嶽城攻略で負傷したため、第4次川中島の戦いには参戦せず、それ以後は第一線を退いている。

1564年(永禄7年)に病にて死す。享年68歳。
原虎胤、武勇名高い猛将で鬼美濃、夜叉美濃と渾名されて畏怖されたが、戦場で負傷した敵将を敵陣まで肩を貸して送り届けたと言う逸話も残る情け深い大将でもあった。

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この記事へのコメント
今度、山本勘助について書いてください。
Posted by 謙信 at 2008年09月27日 16:17