2008年12月04日
武田二十四将 武田信玄の強さの源
戦国大名として真っ先に名前が上がってくるのは、織田信長、上杉謙信、そして武田信玄の3人ではないだろうか。
日本を代表する3人であり、知らない人はおそらくいないだろう。
特に武田信玄に関しては、その名言や家臣団も知れ渡っており有名です。
武田信玄に仕えた武将のうち、特に評価の高いと位置付けられている武将達を武田二十四将という。
これは江戸時代に「武田二十四将図」として絵画や浮世絵の題材となったもので、実際に信玄がいた時代に実在した職制や呼称ではないらしい。
江戸時代に描かれた肖像画は掛幅の仏画の集合図像形式で、上部中央に法師武者姿の信玄が描かれ、周囲に親族衆・家臣団・国人衆が配列され、軍議を行っている様子が描かれている野が一般であり、人物の選定は当時の浄瑠璃や浮世絵の影響を色濃く受けている。
具体的にどの武将をもって二十四将とするかは、描かれた絵によって異なっている。
いずれの絵においても信玄を一将として数えているため、武将は23名しか描かれていない。
また絵によっては、描かれている人物も様々で、裏切り者の汚名を着ている小山田信茂を外してあるものもあったり、武田勝頼・信廉を中心に据えたものも存在している。

面白いのは裏切ったのは小山田信茂だけではないのに、穴山信君は描かれているんですよね。
武田二十四将
○ 秋山信友 悲運の忠将
○ 穴山信君 裏切りの結末
○ 甘利虎泰 友と共に死す!
○ 板垣信方 信玄の傅役
○ 一条信龍 知られざる猛将
○ 小幡虎盛 比類なき猛将
○ 小幡昌盛 鬼の子として
○ 飯富虎昌 義なるが故の死
○ 小山田信茂 弓矢の御談合七人衆
○ 高坂昌信 逃げ弾正
○ 三枝守友 若獅子の如く
○ 真田信綱 勇将ゆえの死
○ 真田幸隆 信玄の知恵袋
○ 武田信繁 惜しみても尚惜しむべし
○ 武田信廉 信玄の影武者
○ 多田満頼 武田の夜襲部隊
○ 土屋昌次 奥近習の筆頭
○ 内藤昌豊 己は二の次
○ 馬場信春 智勇常に諸将に冠たり
○ 原虎胤 信に生きた将
○ 原昌胤 影の戦人
○ 山県昌景 武田軍団の中枢
○ 山本勘助 信玄の伝説的軍師 巻壱・巻弐
○ 横田高松 義を示し信玄を守る
家臣の組み合わせがそれぞれ違っているのは、末孫が自身の家系を誇示するためではないか。
先祖を二十四将の一人に仕立てて描かせたものを、奉納したり子孫に伝え、自家の家名を由緒あるものにしたてていたのだろう。
いずれにしても、それぞれの武将が信玄を援けたことは間違いはない。
また、子孫にあたる者が信玄公に使えていたことを誇って画像として残したことも、日本における信玄人気の源であろうとおもわれる。
では何故に上杉家ではなく武田家なのか?
理由はおそらく武田家滅亡後に、残った遺臣の多くが徳川家に仕えたことが要因ではないか。
同じ上杉家は外様として生き残っていたので、徳川の世においては表ざたに出来なかったと思う。
それが江戸時代に甲州流軍学や、甲陽軍記が流行ったのにも影響していると思われる。
何はともあれ最強を誇った武田軍団を学ぶことは良いことでしょうね。
二十四将以外の人物
○ 仁科盛信 武田の義を貫いた男
○ 真田昌幸 表裏比興者

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山県昌景 山本勘助 真田幸隆

日本を代表する3人であり、知らない人はおそらくいないだろう。
特に武田信玄に関しては、その名言や家臣団も知れ渡っており有名です。
武田信玄に仕えた武将のうち、特に評価の高いと位置付けられている武将達を武田二十四将という。
これは江戸時代に「武田二十四将図」として絵画や浮世絵の題材となったもので、実際に信玄がいた時代に実在した職制や呼称ではないらしい。
江戸時代に描かれた肖像画は掛幅の仏画の集合図像形式で、上部中央に法師武者姿の信玄が描かれ、周囲に親族衆・家臣団・国人衆が配列され、軍議を行っている様子が描かれている野が一般であり、人物の選定は当時の浄瑠璃や浮世絵の影響を色濃く受けている。
具体的にどの武将をもって二十四将とするかは、描かれた絵によって異なっている。
いずれの絵においても信玄を一将として数えているため、武将は23名しか描かれていない。
また絵によっては、描かれている人物も様々で、裏切り者の汚名を着ている小山田信茂を外してあるものもあったり、武田勝頼・信廉を中心に据えたものも存在している。

面白いのは裏切ったのは小山田信茂だけではないのに、穴山信君は描かれているんですよね。
武田二十四将
○ 秋山信友 悲運の忠将
○ 穴山信君 裏切りの結末
○ 甘利虎泰 友と共に死す!
○ 板垣信方 信玄の傅役
○ 一条信龍 知られざる猛将
○ 小幡虎盛 比類なき猛将
○ 小幡昌盛 鬼の子として
○ 飯富虎昌 義なるが故の死
○ 小山田信茂 弓矢の御談合七人衆
○ 高坂昌信 逃げ弾正
○ 三枝守友 若獅子の如く
○ 真田信綱 勇将ゆえの死
○ 真田幸隆 信玄の知恵袋
○ 武田信繁 惜しみても尚惜しむべし
○ 武田信廉 信玄の影武者
○ 多田満頼 武田の夜襲部隊
○ 土屋昌次 奥近習の筆頭
○ 内藤昌豊 己は二の次
○ 馬場信春 智勇常に諸将に冠たり
○ 原虎胤 信に生きた将
○ 原昌胤 影の戦人
○ 山県昌景 武田軍団の中枢
○ 山本勘助 信玄の伝説的軍師 巻壱・巻弐
○ 横田高松 義を示し信玄を守る
家臣の組み合わせがそれぞれ違っているのは、末孫が自身の家系を誇示するためではないか。
先祖を二十四将の一人に仕立てて描かせたものを、奉納したり子孫に伝え、自家の家名を由緒あるものにしたてていたのだろう。
いずれにしても、それぞれの武将が信玄を援けたことは間違いはない。
また、子孫にあたる者が信玄公に使えていたことを誇って画像として残したことも、日本における信玄人気の源であろうとおもわれる。
では何故に上杉家ではなく武田家なのか?
理由はおそらく武田家滅亡後に、残った遺臣の多くが徳川家に仕えたことが要因ではないか。
同じ上杉家は外様として生き残っていたので、徳川の世においては表ざたに出来なかったと思う。
それが江戸時代に甲州流軍学や、甲陽軍記が流行ったのにも影響していると思われる。
何はともあれ最強を誇った武田軍団を学ぶことは良いことでしょうね。
二十四将以外の人物
○ 仁科盛信 武田の義を貫いた男
○ 真田昌幸 表裏比興者
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