2008年11月03日

宇佐美定行 幻の軍師

上杉二十五将の一人に数えられ、『北越軍記』に活躍が記されている宇佐美定行

しかし、その実在は疑わしい人物である。

結果論的には基本的に架空の人物だろう。

宇佐美定行宇佐見定満であるということで定説ににはなっている。
これは宇佐美定行を創作したのは『北越軍記』『越後軍記』などを書いた宇佐美定祐が、自身を宇佐美定行の子孫と自称することにあるのだろう。
自己の出自を飾るために宇佐美定行なる人物を創り出し、伯をつけたかったに違いない。

宇佐美定行を有名にしたの野尻湖の事件である。
長らく守護長尾家に敵対してきた上田長尾家の長尾政景
長尾晴景長尾景虎(上杉謙信)の相続争いの際も兄 晴景に付き景虎に反抗してる。
しかし、景虎が長尾家の正式な継承者となると、本来であれば殺されてもおかしくない政景であったが、政景の政治的手腕や、力量を惜しんだ景虎は寛容にもその命を救った。
政景はその恩に報いるが如く忠義に励むのだが、武田信玄と通じて再び謀反を企てているとの噂が起こる。
このことを知った宇佐美定行は、もし政景が謀反を起こせば春日山の団結も危うくなるし、また謙信が政景を殺せと命ずるようなことがあれば、肉親が殺し合う不徳の大将として諸将の信頼を失うことになり、上杉家にとっては、よろしくない事態であると考え、遂に一策を案じ1564年(永禄7年)定行は政景を野尻湖の船遊びに招じた。
定行は政景に「貴殿は信玄と通じ、謀反を企てておるとの噂が謙信公の耳に入っている」と話し、二心なきことを殿に披瀝して身の潔白を証してはといさめたが、政景この諌言に耳をかそうとしなかったため定行は政景の腰帯に抱き付き共に野尻湖に沈み我が身を犠牲にして上杉家の安泰を計ったという。

後にこれを知った謙信公は定行の忠死に感激して宇佐美定行の霊をとむらうため、その具足を埋め、謙信自ら経塚を立て、丁重にとむらったのが後世墓所と口で伝えられてきたものである。
このことが後世語り継がれていき、宇佐美定行の名が知れ渡っていく。
特に江戸時代流行していた武田信玄の甲州流軍学に対抗して上杉謙信の越後流軍学を唱え、これが人気になったことが拍車をかけている。

現実の宇佐美定満の子勝行は、上杉氏を去って小西行長に仕えたり、関ヶ原の合戦のときに起った上杉遺民一揆に加わったりしたことが知られている。
宇佐美定祐は定満の孫にあたると言われており、この点からも宇佐美定行宇佐美定満は確定だと思われる。


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