2008年11月04日

高台寺 ねねの愛

秋も少しづつ深まりつつあり、いよいよ京都もいい気節。って感じに感じたので思わず、見切り発車で京都へGo!

行ったのは高台寺

言わずと知れたねね(北政所)が豊臣秀吉の冥福を祈るため建立した寺院です。
今は秋の夜間特別拝観をしていましたが、夜まではいることが出来ず昼間のみの滞在。

行ってみて気がついたのだが、高台寺 「掌美術館」開館10周年記念特別展と称し、 『両雄、秀吉と家康』なるものがやっていた。
なんだかちょっと得した気分。

この展示には豊臣秀吉の像や、徳川家康の像などが展示してあり、特に「桐蒔絵棚」なるものは、豊臣秀吉ねね、ゆかりの蒔絵調度類のひとつで、桐の木が蒔絵で描かれた戸袋部分の上は、四側面が格子状になっており、傷みを生じていたのを、平成15年度、16年度、17年度に「国宝重要文化財等保存整備費補助金」を受け修復をし、今回修復後初お目見えだった。

確かこれってこの前ニュースでやってたな。
秀吉ゆかりの桐蒔絵棚公開…【共同通信】

修復してあるので、やはり優美なつくりだ。
派手好みの秀吉ならではといった感じを見て取れる。

あまりしっかりは見なかったが、家康の像もあった。
これが憎い家康か・・・なんだか複雑な心境であるが、とりあえず拝観料も払っているので見ておいた。
晩年の家康ということでふてぶてしさは感じれなかったが、真田幸村崇拝者のボクには、やはりどうしても贔屓目で見ているので気に入らない。

さて高台寺だが、ちょっと紅葉にはまだ早く、気配を感じることは出来なかった。
ねねは秀吉の没後、菩提を弔うための寺院の建立を発願し、最初はねねの実母・朝日局が眠る康徳寺をそれに充てようとしたのだが、狭かったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになったという。
秀吉没後の最大の権力者となった徳川家康は、ねねを手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命させた。
中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。
創建当時の高台寺の仏殿は前述の康徳寺の堂を移築・改造したものであり、方丈、茶室などは伏見城から移築をしたもので、また、伏見城の化粧御殿が移築されて、ねねの居所とされていたらしい。
これ以後ねね北政所と呼ばれていたが、高台院様と呼ばれるようになるんですね。

もし、高台院淀君がうまくやっていたら・・・豊臣家はどうなっていたのでしょうか?
関ヶ原の戦いもなかったのかな?

そうすると真田幸村も歴史の中に埋もれてしまっていたのかな????などとひとり考えてしまう。
徳川家康真田幸村、切っても切り離せない関係です。
家康がいるから幸村の活躍が目立ったし、歴史の表舞台に立ったのは間違いにない事実。
世の中には陰と陽がある。
幸村と家康もそんな関係なのだろう。
しみじみと歴史の面白さを感じた。

話はズレるが、この日も観光客がメッチャ多く、清水寺にも行ったのだが、運河のような人出だった。
この日はたまたま運がよく、清水寺のご本尊 千手観音像も拝見することが出来た。

やはり今日とは歴史の街。いろんなモノを感じます。
時空を越え、英雄達も同じ風を感じ、同じ空気を味わったのだろうと思うと力が出ます。
またしばらくしたら来るとしよう。今度は紅葉真っ盛りのときに!

高台寺---ホームページ

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