2008年12月29日

上杉謙信 女性説は?

上杉謙信の謎の最大は何と言っても女性説だろう。

なぜ謙信公には女性説が付きまとうのか。

正子公也氏・・・謙信公

その壱 
スペインの修道院で発見された古文書に佐渡金山に関する記述がある。
それには「上杉景勝は金を会津へ隠し持っている。その金は景勝の叔母が、佐渡金山を開発をして得たものだ」とある。
ここでいう景勝の叔母とは?
景勝が金を継承したのは、謙信以外の誰でもなく、よって叔母とは謙信のことを指しているとみる。

しかし、この史料は「会津の景勝」としていることから上杉家が会津に転封になってからの史料であり、しかも謙信公が在世中は佐渡金山はまだ本間氏の領地であり、景勝の代になってから上杉家が領有するようになったのだから、この話は疑わしいものだ。

その弐
謙信公の死因説が「大虫」という説があるからだ。
これは松平忠明が著した『当代記』に謙信公の死因が「大虫」となっている。
「大虫」とは更年期障害による婦人病を指しており、それがもとで亡くなったとあるならば、謙信公はまさしく女性であるというのだ。
しかし、これも「大虫」が婦人病であるという確証がなく。
「小虫」が小児の「ひきつけ、かんむし」を指しており、それの大きいもの?だから大人の癪みたいなものではなかったのだろうか。
上杉景勝が残した書状の中に「去る十三日、謙信不慮之虫気、取直られずして遠行」とある。
虫気とは中気と解釈し、中気とは脳卒中だとしている。
ということは、謙信は脳卒中で亡くなったのだ。
よって、大虫は婦人病ではなく、癪の大きなもの=脳卒中だったのだろう。

その参
謙信公は毎月十日前後に腹痛を患い、合戦中でも兵を引き籠居することがあったという。
これが女性特有の生理現象ではないかというのだ。
しかしこれも、1561年(永禄4年)の第4次川中島の戦いでは、ひと月近くにわたって行軍と滞陣、戦闘を行っており、その間に十日前後が2回あったが、謙信公は指揮を取っている。

そして謙信公が女性ではないという決定的なものは、謙信公は女人禁制の高野山へ上がった事があるのだ。
これは決定的なものではなかろうか。
ましてや、越後の動乱の中を長尾晴景が治められなかったものを、謙信公が見事治めている。
当時の時代は男尊女卑だった。
そのことからも、越後の豪傑が割拠する中を女性が統治できたとは思えない。
やはり、上杉謙信は紛れもなく男性だったと思うのだ。

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タグ :上杉謙信

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